斉藤壮馬のダイマso much

※母親にプレゼンしたものをそのまま掲載します。

 

自分の好きなものを親にまで共有するということをあまりしてこなかった僕ですが今回はどうしても引きずり込みたい沼があるのでプレゼンします。プレゼンしたいのは斉藤壮馬という声優です。

僕が彼に出会ったのは3年前の「怪盗ジョーカー」ですが、僕が彼に惹かれたのは演技や声ではなく本人の性格とか趣味とかが魅力的だったからです。「斉藤壮馬のSOマニアック」というラジオ番組の音源を聴いたときに趣味が読書であることを知り、またその趣味の程度もよくある建前のものではなく本当に読書、ひいては作家や文体も含めて本そのものが好きであると言葉の端々から伝わってきたため、その豊富な知識をもっと聞いてみたいと思ったのがはじまりでした。そんなことがあった少しあとに彼が個人名義で音楽活動を開始し、CDのリリースに合わせてインタビューなどが公開されることがあったのでそれを読んでみたり、彼が作詞や作曲した曲を聴いたり、今年になって10月の終わりに出したエッセイなどを読んでみたりすると、かなり拘りが強いこと、そのせいか自分の中でルールを作ったりかつては発言や行動に論理性・一貫性を追求し他人にも求めたりしていたことや、歌詞や著書にみられる豊富な語彙とユニークな表現、読書だけでなく音楽や映画、サブカルチャーにも造詣が深いこと、この数年で大きく考え方が変わったことなど、知れば知るほど彼が魅力的な人物であることや自分に似ていることが分かってきて、特に今年の秋に出た著作のエッセイなどは面白くてずっと読んでいたいけれど読み終わりたくないほど斉藤壮馬という人間の魅力が詰まった作品でした。

こういった文化的な人間であるという側面も彼の魅力のひとつですが、もうひとつ特筆すべきは彼の“あざとさ”です。先述したラジオで歌うときや演じるときの声を考えながら出していると発言したり、自分の好物を強くアピールしたり、随所に“あざとさ”を感じる部分があります。そういうところを知ってから写真などを見ると、そのポーズや表情も自然体なものからハッとするようなものまで、すべてが計算し尽くしされているかのように感じられます(勿論、カメラマンの腕であったり写り慣れているというのもあると思いますが)。外見や中身を含めて「自分がどういう人間であるか・他人からどう見えているか」を知っているという彼のずる賢さも魅力のひとつです。

外見や声は実際に感じて欲しいので発言は控えましたが、彼の3枚のシングル(2ndシングル収録の「スプートニク」は作詞、3rdシングルは全曲作詞・作曲)や著書「健康で文化的な最低限度の生活」の写真、文章などで存分に彼の魅力に浸ってほしいです。12月の1stアルバムのリリース、2月の1stライブが決定した今まさに、僕が推したい人物です。一緒にライブに行こう!

僕のオタク人生について

一昨日、Twitterで生涯読んだ本を記録しているフォロワーを見かけたので、午後の時間を全て使って僕も記憶している限り生涯で読んだ本をまとめてみた。

https://booklog.jp/users/melomelooon

幼少期に読んだ絵本や学校の図書室や図書館から借りて読んだ本、放課後児童会や塾の本棚に並んでいた本を始め、学生時代小遣いの殆どを費やして購入したライトノベルや漫画など、のべ700冊を記録する結果となった。

 

特筆すべきは僕が「オタク」と呼ばれる人種になってからの作品群だ。思い返せば幼少期からアニメが好きで、テレビをつければ見るのは教育テレビか地上波で放送している数少ないアニメか、というくらいアニメしか見ていなかったし、小学生になってからは日曜朝6時半から始まる「ケロロ軍曹(地方なので数シーズン遅れの再放送だ)」を視聴するために5時半から何が面白いのか分からない釣り番組を毛布を被り眠気眼をこすりながら待機していたこともあった。小学校高学年に上がってもアニメを卒業するどころかさらにのめり込み、中学生の頃には毎シーズンのアニメやライトノベルの新刊をチェックするほどのオタクであった。

 

そんな僕をオタクの道に迷わせたのは間違いなく「ケロロ軍曹」であろう。小学1年生の頃、ふと立ち寄った書店で人生で初めて買った漫画が、「ケロロ軍曹」の特別編集版・緑であった。それ以降、「らき☆すた」や「ヘタリア」に傾倒する小学6年までずっと「ケロロ軍曹オタク」だった。その間、声優、ショタ、美少女、GL、BL、ロボット、メタネタやパロディネタ、声優ネタなどアニメ版・漫画版両者のおかげで広がった世界が沢山ある。視聴者を新たな性癖に目覚めさせる作品といえば「カードキャプターさくら」が思い浮かぶが、僕にとってそういった作品は「ケロロ軍曹」であった。漫画版14巻のメイド服冬樹君にえもいわれぬムズムズ感を抱いたことも、特別編集版・桃にムフフな気分になったことも、初めてキャラで掛け算をしたのがカエル型宇宙人であったことも、レギュラーキャストがゲストキャラで出演するからと「らき☆すた」を見始めたことも、中学時代に執筆していた小説でやたらとメタ発言が多かったのも、すべては「ケロロ軍曹」から教わったことだ。誰にでも自分の大きな分岐点になるものがあるだろうが、それがまさに「ケロロ軍曹」という作品だったわけである。

そんな「ケロロ軍曹専門オタク」だった僕が「オタク」にジョブチェンジするのは小学6年の夏休みだ。先に述べたが「ケロロ軍曹」のレギュラーキャストが出演するからというたったそれだけの理由から「らき☆すた」の13話が収録されているDVDを借りたことがはじまりである。こなたのオタクライフに強い憧れを抱いた僕は、レンタル期間の間何度もDVDを再生し、台詞を覚えるほど視聴した。自分もこんなオタクになりたいと小学6年生らしく道を踏み外した僕は、以降夏休み明けの修学旅行の準備を「らき☆すた」を視聴しながら行い、父親のパソコンを借りてアニソンとボカロ曲を聴きまくり、冬になる頃には「涼宮ハルヒ」シリーズを愛読書とし、地元でも放送された「けいおん!」を録画したり母に頼んで「らき☆すた」のキャラソンCDを全キャラ分集めて宿題の友としたり、小学生なりにオタクライフを楽しんでいた。最も、ボカロに出会ったのは小学5年の夏休みだったし、オタクに憧れ始めたのも6年生になるより前だったが、それまで漠然としていたオタクライフがだんだん実感として現れてくるのが楽しかった。

 

そんなこんなで中学に上がった僕は、お小遣いという両親に何を買ったかばれないお金を手に入れた。幼少期から本が好きだった僕は、本にお小遣いを使うようになったが、それとオタク趣味とが化学反応を起こし、中学生活も後半に差し掛かる頃にはライトノベルオタクと化していた。中学入学からの僕のオタクライフはこうである。

中1、春。小6の冬のお小遣いを全額「涼宮ハルヒ」シリーズの原作ライトノベルとスピンオフ含めた漫画に使った流れでスニーカー文庫ライトノベル少年エース連載作品をチェックし、面白そうな作品を買って読む。「R-15」を夜な夜なベッドの上で読み、枕の下に隠していたという中学生男子のような行動をしていた。

中1、夏。「日常」にはまり、原作漫画とノベライズを買う。ラジオも聴いていた。この頃から「バカとテストと召喚獣」を買い始める。「バカテス」2期を従姉妹の家で寝泊まりした朝に視聴していたことを覚えている。お盆玉で「Aチャンネル」既刊を購入。他、「トラウマ量子結晶」購入。

中1、秋。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「GJ部」「C3 -シーキューブ-」「まよチキ!」「僕は友達が少ない」「君と僕。」「未来日記」「WORKING!!」購入。うち「C3 -シーキューブ-」「まよチキ!」「僕は友達が少ない」は2〜3巻まで、「未来日記」は6巻までで読むのをやめた。

中1、冬。「Another」原作を読み、はまる。綾辻行人繋がりで「殺人鬼」を読んだ。他に「ココロコネクト」「生徒会の一存」「男子高校生の日常」「Angel Beats!(漫画各種・ノベル)」など購入。「Angel Beats!」はお年玉を使い初めて円盤を全巻購入した。「生徒会の一存」は3巻まで、「男子高校生の日常」は2巻まで購入。「コミック百合姫」を購読しだす。

中2、春。「〈古典部〉シリーズ(氷菓)」を「ふたりの距離の概算」まで購入。これを受けてゆるい学園ミステリーのような小説を執筆し始める。「銀河へキックオフ‼︎」を視聴し、原作を読むがアニメと大幅に違ったので驚いた。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」というライトノベルの最高峰を見る。その他「這いよれ!ニャル子さん」購入。読んだのは6巻くらいまで。

中2、夏。百合作品にはまり、「ゆるゆり」ほか百合姫コミックスから数作品購入。「私の世界を構成する塵のようななにか」が好きです。また、「偽物語」を視聴したことから「化物語」視聴、原作購入。

中2、秋。「中二病でも恋がしたい!」アニメ視聴、原作2巻購入。この頃からライトノベルの新刊やシーズンごとの新アニメを追わなくなる。

中2、冬。「銀魂」に少しはまったが18巻までで購入をやめている。3月、これまで集めた漫画やライトノベルの殆ど全てを古本屋に売る。高校受験勉強が始まる中3の1年のためだったような、もう飽きたからだったような、そのどちらもあったような気がする。それまでは僕しか読んでいる人を見なかったのに、アニメ化が決まった途端「俺ガイル」を嫌いなオタク男子が読んでいたのを見かけて怒りのような悲しみのような激情が湧き上がり、読むのをやめたのも一因かもしれない。

以降はニチアサと子供向けアニメが主になる。中3の初夏、「それいけ!アンパンマン」にはまりニコニコ動画でまとめ動画を見回っていた。夏休み、課題の読書感想文にやなせたかしの著書を選び書いたところ、市の読書感想文の賞の中学生部門で最優秀賞を取ったことがある。秋ぐらいに「イナズマイレブン」と出会い、今年まで描くファンアートの殆どがこの作品だった。冬休みには受験勉強もそこそこにギャラクシーをプレイした。冬にはディズニーに傾倒し、ニコニコ動画で動画を見てばかりいた。この頃から本に使っていたお小遣いを雑貨やディズニーグッズに使い始めた。

 

イナズマイレブン」に傾倒したまま高校時代を過ごし、当時のイラストなどを見返しても8割はこの作品なのたが、高校入学までの1ヶ月で「Panty&Stocking with Garterbelt」「イクシオン・サーガDT」など過去の深夜アニメの他、「ぜんまいざむらい」「しましまとらのしまじろう」など幼少期に見ていたアニメを懐古するようになり、入学後は「イナズマイレブン」の他に「チャウダー」「怪奇ゾーングラビティ・フォールズ」「フィニアスとファーブ」など海外アニメや「妖怪ウォッチ」「怪盗ジョーカー」などのコロコロコミック連載作品、「プリパラ」「SKET DANCE」「free!」「ダイヤのA」などジャンルに拘らず視聴するようになった。また、この頃からTwitterで情報収集をするようになり、主にインターネットを主な活動場所としているイラストレーターや漫画家の漫画やイラストなどを無料で沢山見るようになったり、エッセイやコラムなど記事を手軽に読めるようになったことなどから本を買う機会が減り、お小遣いはヘアアクセサリーやファンシー雑貨、コスメなどの購入に当てられた。高校生活を過ごすうち、漫画や小説の選り好みが激しくなって「地元で知っているのが自分くらい」かつ「他人に勧めづらい(万人ウケしない)」作品を求めるようになったため、本を購入するにも十分な下調べが必要になったことも、沢山本を買わなくなった要因のひとつだろう。

 

ともあれ、僕のオタクライフはほぼ男性向け作品で構成されており、高校生になって「美少女戦士セーラームーン」や「カードキャプターさくら」を購入するまでは少女漫画をほぼ読まずに過ごすという、女性オタクにしては数奇なタイプに分類されると考えられる。僕はBLも嗜むのだが、僕にとってBL作品は学園ラブコメやバトルもの、ファンタジーなどと同様の作品のいちジャンルに過ぎず、好きなものはハマれば好きだがそうでないものはそれほど、という他のジャンルの漫画や小説などと同じ扱いであることをここに記しておきたい。

今、僕のオタクライフは中学時代のように新しい作品を次々と見るより、小さい頃や中学時代に見ていたアニメを見返したり、過去の名作を見たりと大分落ち着いて来ている。アニメや漫画だけでなく、ドラマや映画なども見ているし、漫画や小説、ライトノベルもまた少しずつ集め始めたが、あらすじや絵柄、文体などをよく吟味して自分の中で良質だと思える作品をじっくり選ぶようになった。小4でオタクを自覚してから10年、僕は死ぬまで“「オタク」という性質を持った人種”からは抜け出せないだろう。

本とファミレスと僕

最近、本を読むようになった。

幼児期は絵本や児童書を図書室で読みふけり、中学の頃は毎月のお小遣いのほぼ全額を本に使い、100冊以上のライトノベルを持つ程の読書好きだった。しかし高校受験で読書より勉強を優先させるようにするため、本棚を埋め尽くしていたライトノベルを全て売ったあたりからぱたりと本を読まなくなった。高校に入学してからはスマホに時間を取られ、活字本よりも漫画や画集、美術系の雑誌を買うようになったため、文字が紙を埋め尽くすような本はほとんど読まなくなった。近代文学には惹かれたが思うように読み進められず、青空文庫にダウンロードした未読の作品群が増えていくだけだった。そうしてサブカルチャーにかまけているうちに、いつしか僕は、読書の仕方を忘れてしまった。Twitterやインターネットの記事などのおかげで文章を書いたり読んだりすることはやめなかったが、本を読もうとすると、何故だか文章が頭に馴染んで来ないのだ。本を読んでいるときの自分が文章に溶け込んで自分ではなくなるようなあの感覚が、あの快感が、思い出せない。本を読むのが楽しくない。そんな風にふと思ったとき、僕は本を手に取ることをあまりしなくなった。本屋や図書館に本を読むために行かなくなったのだ。

今年の初め、勉強場所を探すために家から一番近い市民センターに向かった僕は、その中にある小さな図書室で一冊の小説を見つける。「武道館」というタイトルとサイリウムの海が輝く表紙からアイドルの話だと勘づいた僕はその本を借り、2週間かけて読み終えた。

 

武道館 (文春文庫)

武道館 (文春文庫)

 

 


気持ちが向いたときに少しずつ読み進めたので読むスピードは遅いが、読むのが楽しかった。少しだけ、読書の仕方を思い出せた気がした。

それから何度か図書館で本を借りては読み切れずに返す、ということを繰り返すうち、自分は読む速度が遅いことにようやく気がつき、借りた本のうちじっくり読みたいものを買うようになったが、相変わらず気分が乗ったときにしか開かず中々積まれた本は無くならなかった。

10月に入り、いよいよ積読している本が10冊を超えてこれは何としてでも読まなければならないと思い立ったとき、僕の半生で一番読書をしていた中学の頃はクラスメイトの会話をBGMに机と椅子がある教室で読書していたな、と思い出し、似たような状況を作れる場所を探すことにした。思いつくのは図書館や喫茶店だったが図書館は飲食禁止で喉が潤せないため却下、喫茶店はいくつか回ったが営業時間が短かったり丁度いいテーブルと椅子でなかったり、時間帯によっては人が多い上に距離が近いので会話の内容に気を取られてしまい読書どころでは無かったりとなかなか難しい。と、喫茶店巡りの最中に読んでいた本に午後のファミレスはドリンクバーを頼めばあとは店員が放っておいてくれるので良い、とあり、本日ファミレスに赴きそこでこの文章を書いている。課題の作文と読書をしたところ、昼時は混むが(テスト期間だからなのか受験期だからなのか高校生が来店したり、校外学習中の小学生が集団で来たりした)それさえ耐えられれば午後はおばさんのティータイムの来店がほとんどで、程よく複数の会話が混ざってBGMになり集中しやすい。テーブルと椅子も丁度いい高さだ。

自宅ではリラックスしすぎてすぐにスマホに手が伸びて無駄なネットサーフィンをしてしまうのだが、外にいるとインターネットにのめり込むこともないので読書や課題や物書きが捗る。物書きはパソコンの方が格好良いような気もするが、スマホフリック入力の方が慣れている人間なのでまあ仕方がない。

ファミレスがひとり作業に向いている場であるという新たな発見をした本日僕が読んでいるのはネット通販で予約し発売日の昨日に届いた「健康で文化的な最低限度の生活」だ。

 

健康で文化的な最低限度の生活

健康で文化的な最低限度の生活

 

 


以前から斉藤壮馬の書く文章を読みたかった僕にとって願ってもいない一冊で、彼の文章は読みやすい上に面白い。今度は詩集やショートショート集などが読みたいところだ。音楽や文学、映画をはじめとしたサブカルチャー、食事など様々な切り口のエッセイがユニークかつ豊富な語彙で綴られており、好きな人のエッセイってこんなにも面白いのか、と先のファミレス云々と合わせて新たな発見をふたつすることになった。

「健康で文化的な〜」を読んでいるうちに居ても立っても居られなくなりこのブログを更新したのだが、面白い文章を読んでいると自分も文章を書きたくなるという新しく出来た僕の癖は、しばらく直さないでおきたい。

2018/10/25 病院

今日は母親が仕事の都合で来院出来ないため、1人で病院に行った。

診察、カウンセリング両方で気分の落ち込みが特に無かったこと、10月からスクーリングが始まり、今のところ問題無く登校できていることを伝えた。カウンセリングではその後学校では以前話したように美術の勉強メインで通っているの?と訊かれ、美術の他にも哲学、文化人類学などにも興味があると答え、しかし大学に進学すると専門性が高まりどれかひとつしか選択出来なくなるであろうことから、自分の好奇心の赴くままに独学で勉強するつもりであることを伝えた。また、日本の労働、育児、社会保障などの体制や“日本人的な風潮”に生き辛さを感じているので海外での生活も考えるようになったと言うと、働く女性には日本が窮屈な居場所であると賛同を頂いた。実際には女性だけではなく男性もまた窮屈な日本に抑圧されており、結果として国民全員が生き辛くなっているのだが、日本が窮屈で生き辛いという考えを初めて他人と共有することが出来たので少し心持ちがすっきりした。両親はそれを知った上で諦めて日本で生きることを選択した人間だろうからこんなことを言っても考えが飛躍し過ぎだと思うだろうし僕もそう思わないことは無いが、だからと言って親の一存で諦めることは出来ない。それにもう成人しているのだからお金など含め全部自己責任で行動するつもりである。そのためには情報を集めなければならない。自分の世界、人生を作るのは誰でもない僕自身なのだから。

本当は明日は布団で寝ていたい

午後、本日オープンしたという雑貨屋・ミノツキシャとサンロード青森、イトーヨーカドーを巡った。およそ2年ぶりにスカートを履き自分で納得できるメイクをしてヒールの高い靴を履いて買い物に出た。僕が今の身体でお洒落をすることを自分に許すまでにそれだけかかったというわけである。それが可愛いかどうかはさておき、メイクや洋服選び、そして外出そのものが非常に楽しかったことを記しておく。

バスで駅前まで行き、徒歩でミノツキシャへ。僕が入店したとき、若い女性が店員(店長?)の男性と楽しそうに会話をしていた。2人の会話をよそに店内をぐるりとひと回りする。小さい店に大きな古い家具が沢山置いてあり、しかもそれの殆どに値札が付いていた。なるほど古道具の店である。何も買わなかったので滞在時間は短かったがレトロな雰囲気が良かった。その後、駅ビルに入り三ノ月舎本店やアパレルショップ、ドラッグストアなどをウインドウショッピングし、百均へ向かうためサンロード青森へ。百均で買い物を済ませた後に入った書店にハンドクリームが売っていた。出口に向かう途中アクセサリーショップに惹かれてネックレスを2つ購入。ひとつ300円+税という嬉しい価格である。

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近くの文具店で消しゴムを探すが欲しいものがなく、諦めて徒歩でヨーカドーへ向かう。ヨーカドー内の書店で注文していた本を迎えに行った。ちくま文庫出版の朔先生の作品集と、ドストエフスキー地下室の手記、月吠え特集が載った現代詩手帖

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帰ってから現代詩手帖をパラ見すると月吠えが雑誌の約半数を占めていた。読むのが楽しみである。

来年のマイメロ柄のダイアリーを購入し、帰宅。

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百均で購入した袋(運動靴入れにした)とお薬手帳バーとダイアリー。今日の買い物でまたマイメログッズが増えた。

百均では前から欲しかったボールチェーンも手に入れ、ようやくヘルプマークをリュックに付けられるようになった。

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予定外の出費だったが生活の質が上がったので良しとする。

明日はスクーリングがある。2日連続で外出するのは体調が心配されるが気を張らずに活動しようと思う。明日のために夜に作ったこんにゃくの煮付けと寒天ゼリーが美味しくなることを祈ろう。

変わらないようで変わっていること

6時に目覚めて1日の始まりにやったことがソシャゲだった。午前中は勉強をしたけど今日の分はすぐに終わり、明日の分は明日にやることにして少し読書をした後、Twitterのいいね欄を遡りつつ整理したら半分に減った。やること、というかやりたいことが無かったのでソシャゲで夕飯まで時間を潰す。そういえば文アルを少しやった後に読書をしようと思っていたのにすっかり忘れて、だらだらしているうちに夕飯の時間になってしまった。とは言え僕はいつも16〜17時の間に空腹になり早めに夕飯を食べてしまう。今日も例に漏れず、17時に夕飯を済ませてしまった。薄切りにした豚のロース肉(本来はしゃぶしゃぶ用らしい)をレンジで温めたものと白米。豚肉にはポン酢が良く合う。貧乏臭いが僕はこの食べ方が大好きなので心が豊かになれる。庶民の特権だろう。分相応とも言うが。

最近Twitterの使い方が少し変わり、自分のことを発信するより情報集めがメインになってきた。RTと自分のツイートがごちゃ混ぜになってプロフィール欄が見辛いのが気に入らないのでこちら(ブログ)の方に自分のことを書くことにする。どうせ以前からツイートも長文で見辛かったしいい機会だろう。

Twitterの使い方もそうだが成人してからこれまでの生活からはおよそ考えられない程の変化が見られるようになったのを自覚している。摂食障害も大分寛解して付き合い方が上手くなったし、洋服の好みもフリフリネオロリータからスマートなカジュアル風に変わったし、考え方も自分以外の世界ばかり気にかけた死へ向かうものから自分を軸にして生きる方向へ変わりつつあるし、映画や読書などの作品もグチャドロ鬱々エンドよりほんわかコメディ短編集のようなものの方が好きになった。何より今、ひとりで家にいるより何か地元でも行ける場所は無いか、できることは無いか、と探し始めたことは大きな変化だ。北東北の田舎なので中々インターネットでは情報が見つからず苦戦しているが、雑誌や僕の小さなコネクションなどをフル活用して、近いうちにお金を貯めて県内をひとりで回ってみたいものだ。

叫び

5年間、追い続けている作品がある。あった。以前から5年ぶりの新作の情報があり、今年満を持してアニメ放映がなされた作品だ。私がその作品に出会ったのは5年前、中学3年のとき。弟が見ていたのでつられるように見ていたらいつの間にか自分の方が長く居座ることになってしまった。何度か手放そうとしたが結局は戻って来てしまう。細々と二次創作などもしていて、そうこうしているうちに5年が経ってしまった。中学から高校、そして成人した今に至るまで、私の青春を作った作品だった。何度も考察を重ねた唯一の作品であり、特別思い入れが強い。私はその作品の特にアニメ版のストーリー構成、キャラクターの小さな表情や性格がよく表れた作画、男児向けアニメらしい熱血展開、確かな演技力のあるキャスティング、中毒性のある曲調と魂を震わせる歌詞が魅力的な主題歌など、作画ミスや5年という決して短くはない時間の中で少しずつ変化した作風など穴もあるがそれも人間の作るものらしいと愛せるくらい評価していた。シリーズ構成の脚本家とお気に入りの話が同じで嬉しく思ったのはよく覚えている。私の苦手な女性のファンも多かったが、弟とその友達がその作品を好きだということの方が文字通り“リアル”だったのであまり気にならなかった。同級生には解釈の合う友人もおり、学生時代はとても楽しくその作品を応援していた。

しかし、学生を辞めてからはTwitterのアカウントも何度か作ったが他の女性ファンとの解釈違いや自分自身の二次創作物と自分の中にあるキャラ解釈が乖離していく恐怖が募りアカウントは決まって短期間で削除してしまっていた。小学生の頃に好きだった作品を中学生や高校生になっても好きでいられるはずはなく、次第に弟達も作品から離れ、その作品の話を出来る環境が無くなっていった。それでもふとしたときその作品への熱がやって来ては1人で熱く語ったりイラストや短い小説を創作したり、作品から完全に離れることはなかった。子供向けアニメというジャンルにずっと居座っているので、スタッフやキャストなどの被りが多かったのも私と作品を結びつけてくれていたのかもしれない。

そして、今年の春である。新作のアニメを視聴した私は愕然とした。これまでのシリーズに確かにあったはずの細かな作画描写や少なくはないキャラクターをしっかりと描き切るストーリー構成、バランスの良い恋愛描写やギャグ、全てがこれまでとは全く違う。それらが無くなってしまったのだ。更に過去作から引き継がれたキャラクターは性格が変わってしまっている上に対戦では新キャラの主人公チームには当然負けるので噛ませ状態、負け方も腑に落ちないものばかり。「孤高の反逆児」の通り名を持つキャラクターがすっかり仲間と仲良しこよしをしているのを見たときなどは二次創作を見ているのかと我が目を疑った。新キャラもきちんと描写されず、キャラが被っていて判別が出来ない状態のキャラクターもいた。加えて全キャラクターに共通して言えるのが、“言わされている感”。性格が変わってしまった過去作からのキャラクターも印象の薄い新キャラもストーリーを進める為に本心ではない事を言わされているようでもやもやするのだ。主人公の決め台詞でさえまるで説得力が無い。印象が薄いので当たり前である。結果的に2クールで終了したこの新作は尺が足りな過ぎてその辺のキャラクター描写を全てカットしているのだろう。シリーズ第1作のラスボスチームがそれまでの努力の描写も無く僅か10分という放送時間で主人公チームに敗れたときは頭が痛くなった。シリーズ初期から身内の死や家庭崩壊や歪んだ師弟関係など重い描写はあったが、新作ではそういった重くて過激な描写(暴力、悪口、毒親など)が陰湿でかなり不快指数が高いのも問題であろう。息をするように「デブ」という人を傷つける単語をまるでその人の単純な特徴であるかのように言ったり“戦術”と称して試合相手を侮辱するスポーツマンシップに反する描写があったり、前作までは不良も任侠のある男らしい描写をされていたのに新作では路地裏でメインキャラをボコボコにして嘲笑する不良の描写があったりと、兎に角不愉快だ。今作は「ちょっと大人な」をコンセプトにしているそうだがそんな描写を「ちょっと大人な」だと思っているのなら夕方6時から全年齢向けに放送して欲しくない。少年漫画雑誌に連載しているなら何故小学生も見ていると想定した上で作品を作ることが出来ないのか。

このように新作の出来は決して良いとは言えない。シリーズ構成が私が憧れた脚本家ではなくなった時点で見限るべきだったと思わせる程にストーリーが酷い。一新されたキャラクターデザインも“改良”とは言えないし、前述した通り細かな作画が雑で見るに耐えない。アンチコメントへの擁護が出来ないどころかアンチの方が正しい事を言っているようにさえ感じる。更に私が腹立たしいのは、シリーズ初期から多くのファンやファンでないオタク達の間で疎まれていた女性ファンを遂に公式側が受け入れたせいで女性ファンが大きな顔をし出したこと、SNSという不安定かつ限定的な媒体で作品の大筋に関わるような投票やファンアートの募集をすること、何より作品がそうしたファンやスタッフの自己顕示欲と承認欲求のダシにされていることだ。私は例え女性ファンが多くともあくまで男児向けコンテンツとして製作されていたこの作品を応援していたのに、イベントを開けば黄色い歓声が湧き上がることにも目を瞑っていたのに、こんなに女性向けにシフトされたのではどんなにこれまでのシリーズ作品が素晴らしくても近所の小学生にだって教えたくないくらいファンを含めたコンテンツ自体のレベルが落ちぶれてしまったと言わざるを得ない。ずっと私が目を逸らしていたものを、作品だって目を逸らしているものだと思っていたのに裏切られた気分だ。もう目は逸らせないのである。公式が視線を向けてしまったのだから。

そんなファンのコスプレやファンアートを通した自己顕示欲と承認欲求にほとほと嫌気が差す。オタク活動の裏にあるのはそうした自己中心的な欲求だけだ。作品へのリスペクトがまるで感じられない。私自身そんな時期があったので過去の自分への嫌悪も含んでいるかもしれない。そうした承認欲求の強い若い世代ばかりいるというのはファン民度の低さにも繋がる。何度もアカウントを取って見てきたがこの作品のファン民度は決して高いとは言えない。シリーズ第1作目から10年が経った今でも、である。SNSを利用しているのはどんな年齢層かというのも含めて考えれば妥当な結果であろう。私はSNSを利用するのに向いていないのだ。好きな思いを自分の承認欲求をのせて共有するのではなく、一人で突き詰めていく。誰にも邪魔されない、完全な自己満足の世界だ。それこそがオタクの真の姿ではないのか? ……ともあれ、私がこの作品——イナズマイレブンを手放すのもこれで最後だろう。これ以上私が大好きだった作品が壊れていくのを見たくはない。何者でもない製作者とファンによって、だ。創作の根多を一つ失うが、この作品の二次創作はこれ以上したくないし見たくない。創作をする上で必要なのは愛と知識量だ。これからは知識量を増やす努力をしていきたい。

この頃、オタクそのものの辞めどきかもしれない、とも考えるようになった。成人したばかりだが時の流れと人間の限界を感じる。